井戸の病気に、井戸端げんき! | グレースケアのとんち介護教室

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時代の先端にして崖っぷち、ケアのトレンドを脱力レビュー。

NHKニッポンの現場、今日は宅老所、井戸端げんき!

あらためて介護の現場の魅力を想う。



まず、何でもありの日常にディープな関わり


ヒザが立たないが、人の目をかすめて這って玄関から出て行く豊さん。

誕生日ケーキに指を突っ込み、手づかみで人にも勧める。


人の髪の毛をひっぱったり叩いたりする洋子さんに対して、職員もきっちり「何で、んなことすんの!」「殴ってはいけません」と迫り、「ごめんなさい」と思わず謝らせる。



それから、支え支えられる居心地のよさ


統合失調症で何十年引きこもりの林秀樹さんと、カラオケで落ち着く洋子さん。

うつ病で転職を繰り返していた成田さんと、穏やかトークで落ち着く豊さん。


代表の伊藤英樹さん「林さんじゃなきゃできないことをやってるんですよ。僕らがやるとどうしてもウソ臭くなってしまう。さみしさとさみしさがつながると、ホンモノのやさしさみたいなものがポッと出てくる」


と言いつつ、せっかく成田さんと散歩に出かけた豊さん、演出は当然仲良しぶりを強調したかったのに、途中で豊さん不穏になり「あんたなんか二度と呼ばないよ!」と怒り出す。


お約束をはみ出す、うまくいかなさや、したたかさ。いつものことと受け流す成田さん。この関係、喜怒哀楽含めてぶつけ合っても、崩れない奥底で共感ができている信頼感。



そして人に歴史あり、つむがれた思いに触れること。


夫が入院して落ち着かない洋子さんと、しばらく喋れないと思うと夜も眠れなかったとメモを託す夫。

夫を失い一人手で子育てに苦労していたとしさんを見兼ねて支えた豊さん。としさん、見捨てられないと呟く。

伊藤さん自身、くも膜下出血で倒れた父親を引き受ける場所がなく、自分で宅老所をつくったという、思い。


いずれも、介護の仕事がもちえる魅力、あきらめや、やりきれなさも深いのだけど、でもげんきな場所をつくって暮らしが作れる面白さ。



ただ、難しいのは、どの現場でも、そんなやりがいや魅力を必ず作り出せるわけではないことだ。

本当にシンプルに、介護の仕事、地域での支え合いに貢献したいと思って始めたのに、陥りがちな3つの穴。


コンプライアンスの穴

思いや必要に迫られて始めた地域の宅老所が、例えば「介護保険制度の小規模多機能型居宅介護」とか名づけられると、保険報酬を得られる代わりに、運営上のしばりができ、かつ定額制なのにヘビーユーザーの登場とかで経営的にも立ち行かなくなるリスク。というかそういう発想にひっぱられていく。


「げんき」がいいのは、通所で保険事業所の指定を受けながらも、制度先にありきではなく、常に人ありきで、そのために制度をどう使ってやるか考えているところだ。保険外の自費利用者も、障害者も児童も、ボランティアも旅人も包み込む。法令遵守ならぬ、オレ遵守。それ大事。


結果、制度が排除する「困難な人」をきっちり受けている。



ヘタな「専門性」の穴

医療看護の専門家、衛生管理の専門家、お料理の専門家、人権の専門家などなど、いろんな専門性や趣味嗜好をもった人が、ケアの分野にはいる。その違いに、非常に助けられている。


でも、ヘタにその専門性や強みを発揮しようと張り切られ過ぎると、うまくいかない。利用者やほかのスタッフへの押し付けになったり、あるいは自分の専門性の通用する枠組みしか認められず、やっぱり排除につながっていく。声の大きい人や経営者が、何を得意とする専門家かで、大方の生活が決まってしまう。


「げんき」では制服もエプロンも着けていないとか、脱水起こしたとか、利用者とまともに怒ってみるとか、専門的にどうよっ、て考えもありえる。(特に脱水はね、正直に映してエライ)。


ただ、なにより一人一人が自分の生活の専門家、これ一筋キャリア90年とかなわけだし。太刀打ちできっこないって理解(と前向きなあきらめ)が肝心。


伊藤さんは、それぞれの役割や持ち味、むしろ素人や無資格者、病んでいるからできることを見すえて、それぞれが出会い、関係をつくり、支えあえる場をつくるという趣旨が明快だ。謙虚。



大家族らしさの穴

「にぎやかな大家族」。家族もいろいろで、仲がいいも悪いも、共感も対立もあわせもつ。

ある人の居心地のよさが、ほかの人には窮屈で、家出したくなったり。

小規模さが、個別の関わりの深さになる反面、逃げ場のない閉塞感につながりかねない。


豊さんも洋子さんもつれあいに恵まれているが、そういう幸福な場合ばかりでもない。


大きな施設よりも、小さいユニットやホームの方が、職員の離職率も高いという。

煮詰まらずに外部や地域に広がるバランス。


「げんき」をめざして、実は閉じ込めて経営者や一部職員の好き勝手放題、ただどんな重度で認知症でも引き受けるため、「必要悪」みたいに地元で言われてるところとか。



私も「認知症ケアの切り札」とかもて囃されたグループホームを4年やってきて、ホント、足元は穴ぼこだらけ、はまっているのは分かっているのに、なかなか抜け出せなかったり。


「みんなが右肩上がりを目指すのではなく、一人一人と深く関わることを目指すあり方があってもいい」(伊藤さん)。

効率とか利益とか他人より優れているとか、結局、深~い井戸のなかで、上がったり下がったり。

誰だか知らない釣る瓶のもち手に揺すられて…。抜け出せない。

病んでいる人を振り落とさないと生きていけないほどに、病んでいる。

井戸端では、ただべちゃくちゃ喋ったり怒鳴ったり泣いたり笑ったり。闘ったり助け合ったり。


介護のお仕事、本当はもっとシンプルで、地場でのフツーの営みなのだな、と思わせるげんきのドキュメントなのだった。


宅老所 井戸端げんき

http://members3.jcom.home.ne.jp/idobata-kaigo/index.html


つづく。