業界底抜け!新しいケアが始まるよ | グレースケアのとんち介護教室

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時代の先端にして崖っぷち、ケアのトレンドを脱力レビュー。

祝!介護保険8周年、そしてグレースケア無事登記!


応援いただいた皆さまに、この場を借りてご報告とお礼申し上げます。

ありがとうございました。



年度始めの4月1日。法務局への申請殺到を期待して、9時前に行ったら、


法務局









ガラ~ン…


法人申請の窓口には誰もいない。


申請も9時前に終わる。

事前に相談にも行って整えたから、特に問題もなし。


登記手続き完了は7日の予定。

たいてい、2、3日でできることが多いというから、やっぱり普段より混むのは混むのでしょう。


せっかく待たされるかもと思って、赤瀬川原平と東海林ただお『老化で遊ぼう』もって行ったのに。

東海林「これから先は結局、プラトニックの境地に戻るんじゃない?」とかなんとか。

うーん、そんなこともないんじゃない?



法務局といえば、10数年前、しょっちゅう九段とか渋谷の出張所に行っていた。

当時勤めていたのが、新卒で入ったパソナの管理部。


南部代表が、孫さん(ソフトバンク)と澤田さん(HIS)と、「ベンチャー三銃士」なんて持てはやされていた頃で、とにかくすごい勢い。

会社をどんどん立ち上げては、どんどん潰していく。でまたつくっていく。

上場前だったから、思いのままにやり易かったのだろう。


ペーペーの私は、電球を替えたり、会社の名前を替えたり、役員を入れ替えたり(そういう書類のおつかい)、謄本とったり納税証明とったり、経理事務をしたり、ショップの開店時に並んだり、年末に社長とミカンを配ったり、電球が切れてて怒られたり、、、懐かしい。


学生のころ、障害者の自立生活運動や解放運動(というのがあった)にハマって、というか重度の脳性まひのオッサンのところに、「介護者おらんと死ぬで!」とか脅されて、やっぱり当時も介護者が不足していて、制度が不充分だったから、半ば無償で24時間の介護体制つくっていて、これは人を増やさないとと思い、当時40万人の派遣社員、介護の業界にもってきたかった。

オッサンたち、つきあうと面白いし。結構ムチャするし。


で、南部さん「社会の問題点を解決するビジネス」を標榜していたから、もぐりこんだんだけど、結局、力不足なのに生意気な私は2年で辞めて、米国や関西の障害者の作業所などを経て、再びパソナフォスターという介護と保育の会社に戻って、大阪の拠点をつくって、自治体や社会福祉法人やNPOと組んでヘルパーの養成と、介護職派遣を行い、東京に異動したときに、介護保険が始まった


営業もハマると面白く、3千人余のヘルパーを養成できて、事務職だった派遣社員を何名か介護のお仕事に引っ張れたのは、嬉しかった。で当時、急拡大後に拠点の統廃合をしたコムスンのことは、当然ボロクソに言っていたものです。


その後、また現場に戻って、今度は高齢者の老人保健施設を経て、近くのグループホームの立ち上げに。それがコムスン。で、今度はボロクソに言われている。とほほ。やっぱりよそのことを悪くいっちゃいけないですよ。文字を大にして言いたい。少なくとも経営陣とは分けてね。


で、やっぱり介護の担い手が減ってきた。そしてそれが質に直結している。また、ただの数の問題ではなく、ニーズの幅がますます多様化しており、それに対応できる、個々のヘルパーの力量や多様性も充実しないといけない。

そこで、また新しく事業を通じて、いろんな人間やそのキャラクターで盛り上げていきたい。

認知症のばあちゃんたちも、つきあうと面白いし。かなりムチャするし。


ということで、グルッとらせんを描きながら、現場と起業を行ったりきたり、やっと戻ってきた。

長文おつきあいありがとう。


いよいよグレースケアもスタートです。


これからも、グルグルっと昇って行きましょう。

さ、ご一緒に。


目がまわる~。