ポストモダ~ン、介護夜明け前 | グレースケアのとんち介護教室

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時代の先端にして崖っぷち、ケアのトレンドを脱力レビュー。

一人ひとりまったく違う、暮らしを支える介護の仕事。

認知症の人のケアなど、うまくいったり、いかなかったり、介護職が変わると同じことをやってもうまくいかなかったり、同じ人でも朝はうまくいっても夕方はダメだったり。


施設やホームでは、マニュアルである程度、ケアの標準化を試みても、実際は、客観的・合理的な基準のできにくい、産業化・効率化などには馴染みにくいお仕事。


それはでも、「近代化の遅れた、未開の世界」なのか!?

早く科学(サイエンス)にして、医療や看護の世界に追いつかないといけない?

というわけで、三好さん講演は本題へ…。


レヴィ・ストロース。フランスの文化人類学者。100歳でまだご生存目

著書『野生の思考』のなかで、未開といわれる地のフィールドワークを通じて「ブリコラージュ」=手作り、器用仕事の概念を見つける。

自動車製造のフォード方式のような効率的な分業による大量生産方式とは対極にあるもの。車


どちらが優れているというものではない。


西欧を先進国として、未開の「後進国」「発展途上国」「開発途上国」と名づけて、直線的な進歩、近代化の道筋を描く、自文化中心主義。

それに対して、それぞれのなかに特徴を見出し、一直線ではなくそのつど常にただ並列してあるものと考える、文化相対主義。


レヴィ・ストロースは日本好きで、来日時に知って喜んだ独自の仕組みがあるという。

西欧ではブリコラージュは「日曜大工」のようなところにしか残ってないのに対して…

日本では「人間国宝」(重要無形文化財)という仕組みがある。工芸技術など、匠の仕事はまさにブリコラージュ。


「ブリコラージュはサイエンスにはなりえない。しかしアートにはなりえる」

アートなら、人によって個性が出る合格

標準化、マニュアル化しにくいもの。

「近代化」に対して、介護は何となく負い目があって、実際に、アセスメントにケアプラン、目標(短期・長期)と実践と評価と見直し、みたいな、まるで企業の品質改善マネジメントのようなやり方が、ここ数年で思い切り浸透してきているのだけど、どこかやっぱり妙な気はする。


でも、そうやって記録を残さないと、報酬の請求もできないし。職人の自負なのか、素人の思い込みなのか、企業のもうけ主義なのか、不正をしていないのか、それらとの違いをきちんと出すためにも、客観的に見せる仕組みが求められている面はある。


また、ケアプランをもとに本人や家族やその他が、一方的な特定の「専門職」や「素人」の思い入れを排して、互いにフラットな立場で、少なくとも建前としては、利用者本人を中心に、周りが互いに尊重し合いながら意見を出し合える仕組みは、

以前の、例えばお医者様古寮母を権威とするような、時に押し付けがましい仕組みよりはいいかもしれない。


三好さんも、だからアート万歳とはならないで、もちろん、サイエンスも必要と言う。医療看護のケアが必要な場合も。

両方を統合したものとして、介護があるのではないか?

するとカイゴも相当、面白い仕事に思えてきた!?アップ


つづくっDASH!