祝・来日!イスラーム介護職と働く法 | グレースケアのとんち介護教室

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インドネシアから介護職がやってくる。ようこそ! スラマッ・ダタン!



日イ友好年


EPA(経済連携協定)で、フィリピンが足踏みしている隙に、インドネシアが先行。5月に厚労省が受入の指針を出し、今月現地で応募と面接。結果、看護職174人・介護職131人が内定し、いよいよ来日される。


いや~、外国人の介護職、ことばの問題をはじめ、話せても記録はどうか、お年寄りの旧い文化を理解できるか、働き方や人間関係に馴染めるか、給与水準がさらに下に引っ張られるのでは、うんぬんと現場には否定的な見方も少なくない。


確かに、ただでさえ人のいない職場で、結局フォローが必要になるため、かえって負担は増すのではないか、と恐れる気持ちもわかる。拒んで障壁をつくるのは簡単だ。ただし、逆に、工夫次第でやっぱり戦力として活躍してもらえるだろうし、少なくとも、まずどんな人たちがどのような状況で来られるのか、理解することが必要ではないだろうか。


在日外国人215万人、うちフィリピン人は20万人、インドネシア人は約2万5千人。どうりでフィリピンの人は見かけるが、インドネシアの人はよくわからない。


これではいけない…、歓迎するにも思い悩むにも予習のために、JANNI(日本インドネシアNGOネットワーク)の講座「高齢化社会とインドネシア―介護福祉士・看護師がやってくる」に参加した。


う~む、そこでも松野明久教授(大阪大学大学院)やインドネシアの方らから、いろいろな点が課題や懸念として指摘されている。


・家を借りるなどの初期費用は誰が担うか? 借金をさせるのか? 途中帰国の場合は?
・受入施設で、宗教や文化への配慮がされるか?
・日本語の研修が半年のみで、意思疎通が充分図れるようになるか? 仕事を任せられるか?
・介護福祉士の国家試験に日本語で合格できないと帰国となるが、難しいのでは。結局定住させない方針ではないか?
・研修後は、ほぼ受入施設に丸投げだが、現場の負担が大きすぎないか?
・インドネシアの側で看護師が不足するのではないか? 悪質ブローカーの介在は?
・「特定活動」ビザの運用上、労働者としての権利が守られるのか? 職場を変える自由は?


大きくはいわゆる「外国人労働者」の問題が、今回の制度運用の拙速さと、現場で見込まれる混乱から語られていた。特に、私がうっかり忘れていたのは宗教の違い。厳格さに濃淡はあるものの人口の9割近くがイスラム教徒という。


豚肉は食べない。チャーシューもダメ。豚骨スープもダメ。場合により、ハムもベーコンもコロッケもハンバーグもラードもダメに。また、人によっては、日に5回の礼拝をしたり、ベールを被ったり、1ヶ月間日中の断食をしたりも。


施設だったら検食はパス! 豚肉に触ったりはできるのだろうか? ホームだったら調理やいっしょに食べるのには支障が? ジャワカレーも牛肉オンリー? 断食月はじゃ夜勤中心にやってもらうとして、あーっ、ベールをとらないと暗くて見えなくない? おじいさんも「月光仮面」って、ちょっと違うでしょ。 いやこれイスラム教なんですよ。えっ?「鞍馬天狗」とも違いますよ…。「マタ・ハリ」は近いかな? 古い…。


冗談は言んどねしあとして、結構前向きにワクワクする要素としては3点挙げられる。


1つは、まず第一陣で来られるのは、介護福祉士の候補も、かの国では看護師資格をもっている優れた人材ということだ。


インドネシアには介護福祉士やヘルパーという資格はない。家族や親戚で担うから専門の職業として認知されていない由。で、今回の応募者は、看護200人・介護300人だったが、どっちも定員割れながら、結局看護の方が多く集まったのは、やっぱり給与水準がよいから当然といえば当然。でも看護師でありながらあえて介護福祉士候補となるのを選んだ人たち、期待できるのではないだろうか。


医療看護の知識ももつ専門職が、生活援助や介護の場にくる意味合いは大きい。知識の中身はまた日本の看護師と異なるのだろうけど、利用者の重度化・医療ニーズの増大に、ともに取り組むための地力は変わらないのでは。


2つめに、異なった文化と出会えることだ。


インドネシア共和国。ジャカルタにバリ、スマトラ。 南国の薫り。じゃ、今日のレクは三味線、じゃなくてガムランで。いっしょに唄いましょう、『椰子の実』に『バタビヤの夜は更けて』。違うか。


日本とは違う言葉に風俗・習慣。国内にいながらにして味わえる海外のカルチャー。気分は外資系。すでに、認知症の方々はじめ高齢の利用者だけでもそれぞれ、自分たちとは全く異なる文化をもっている。何しろ生まれたのは日本じゃない。大日本帝国だ。さらに地域や生活史はバラバラ。


ケアの仕事をする魅力の一つは、いろいろな人生を追体験できる深みなのだが、担い手の側の多様性もさらに深まる。もっとも、「植民地人」(ケアスタッフ)を差別する「帝国主義者」(お年寄り)との軋轢は、先行している施設の報告のなかでもあった。


3点目に、新しいよりよいケアが生まれる可能性を挙げられる。


フィリピンの人も年長者をごく自然に敬い、フレンドリーな人柄のにじみ出る笑顔がある。その関わり方や大家族主義的な思いやりは、現代の日本人よりはむしろ豊かで、かつての日本にあったものに近く、高齢者の気持ちには寄り添いやすいかもしれない。


やむなく職業的な意識先行で余裕をなくしがちな現場に、逆に姿勢を学ぶ機会や脱力させる効果をもたらすこともありえる。


以上、とりいそぎ、いさぎよく楽観的に考えてみた。


もちろん、これまでも実際に例えば、障がいや病気をもったスタッフと働いてきて、理念として総論は、多様化多文化ダイバーシティ万歳でも、個別の現場レベルでは結構難しいことは否めない。受け入れて共に働くための仕組みや制度、負担の担い方で、まだまだ議論が必要だろう。


そもそも、人材不足の解消に海外の人を頼るのではなく、労働条件の整備、介護報酬のアップが先決という考え方も分かる。肝心なのは、介護職のなかで分断されたり差別をしないで、同じ仲間として、よりよいケアとフェアな報酬を求めていくことではないだろうか。


どっちに転ぶか、わからないけど、どうせなら前向きに転びたいもの。


結果、人材の数と質の充実で、高齢者の転倒リスク、軽減できますよう…。